エジプト, カイロ滞在記 - ギザのスフィンクス ゲストハウスにて

2016年1月8日

二〇一五年の大晦日、早朝に南インドのチェンナイ国際空港を飛び立ち、中東のアブダビを経由してエティハド航空EY653便で現地時間の正午過ぎにカイロ国際空港に到着した私は、入国審査の列に並んでいる際列のすぐ後ろに日本人女性一人を見かける。その後その夜からの宿泊先であったギザのピラミッド・エリアにあるスフィンクス・ゲストハウスでも日本人男性一人の個人旅行者を見かける。二人ともエジプトは初めてだそうでその彼らのどちらもが話していたのは「エジプト、ギザのピラミッドは一生に一度は訪れてみたい地、でもエジプト周辺の最近のニュースを見ていると、今のこの時期を逃したらもっとエジプトに行きづらくなってしまうのではなかという気もした。」といったものであった。そして男性旅行者のほうは昨年秋に日本を出発してから現在までに数十か国を旅してきているそうで、しかしながら日本を経つ時点では今回の旅行中にエジプトを訪れることはまだはっきりとは決めていなかったらしい。 
私の場合には昨年十二月九日から母が脳卒中リハビリの促通反復療法でも知られる鹿児島の垂水市立医療センター、垂水中央病院に六週間弱リハビリ入院できることになり、その前年に入院していた鹿児島大学病院の霧島リハビリセンターでは付添の家族がリハビリ法の実技指導を受けることも可能だったので母の入院中には多くの時間を鹿児島で過ごしていたのだが、今回のリハビリ入院では文字通りの完全看護といった印象が強く、久しぶりに自分だけのために使えるまとまった時間を確保することができたのだ。しかしながら最初は母の万一に備え九州の空港からそれほど遠くない、現代アートのギャラリーなどに関心があった香港辺りまで出かけてみる予定であった。その後成り行きによってはもう少し背伸びをしてスケッチ旅行を兼ね私のお気に入りの地、南インドを訪れてみようと考えていたのだ。 
福岡空港から香港を訪れた後は、結局南インドを訪れることになった。そして満月の時期の南インド、アルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライでの滞在中に、エジプト行きの想いが強烈に沸き起こってきてしまい、インターネットで航空券を購入。年末の大晦日から正月十日までをエジプト、カイロのギザのピラミッド・エリアで過ごすという流れになっていったのであった。 
エジプトは今までに三十回以上訪れているけれども、大ピラミッドと大スフィンクスのあるギザのピラミッド・エリアは私にとってはアルナーチャラ山のある南インドの聖地ティルヴァンナーマライと同様に何度訪れても初めて訪れたときのような高揚感をもたらしてくれる最高の憧れの地。元日にはスフィンクスのケンタッキーの前で個人旅行者と思われる日本人の男性に会い、以前ならエジプト滞在中に日本人を見かけてもお互い無視することのほうが多いのに、この時は互いに微妙に通じ合えてしまう気配を感じて挨拶をした。そして彼に現地情報を聞くと、「カイロの街中では多少殺気立った空気が感じられた場面も見かけたけれども、ピラミッドのエリア内は客引きがしつこいくらいで身の危険を感じるようなことはまったくなかったですよ」と話していた。私自身も正月三日に実際にピラミッド・エリア内を訪れてみて、客引きや物売りのしつこさは以前と同様だったけれども、あまり元気がなく多少控えめになってしまっている客引きや物売りも少なくなかったような印象を受けた。 
現在私の滞在しているスフィンクス・ゲストハウス(Sphinx Guest House)は、ギザの大スフィンクスのすぐ目の前に位置し建物の四階とその上の屋上の一部が宿泊施設になっていて一階にはパフュームと土産物の店トゥリー・オブ・ライフが入っている。そしてこの宿は正面からの大スフィンクスとその背後に聳える三大ピラミッドを一望できる最高の場所にあり、日本のテレビ局はもちろんのこと海外のドキュメンタリー番組などでも、この宿の屋上から撮影された大スフィンクスと三大ピラミッドの映像を見かけたことがある。そしてこの屋上の客室には古くはハリウッド女優のシャーリー・マクレーンさんやエドガー・ケイシー財団のヒュー・リン・ケイシー氏なども滞在していたことがあるらしい。しかしながらこのホテルは客室数が少ない上に日本のガイドブックには載っていないこともあり、以前ここでの滞在中に日本人を見かけることはほとんどなかったのだが、今回は大晦日から正月にかけて家族連れを含め五人の日本人旅行者を見かけている。そして彼らの一人に話を聞くとブッキングドットコムで予約を入れたらしい。私自身も最近はガイドブックを頼りにホテルを探す機会は少なくなり、インターネットのホテル予約サイトを使い、次に訪れる場所の周辺地図や宿泊客の口コミ情報などを参考にして予約を入れることがほとんどで、今回の香港からインドにかけてもほとんどの宿でホテル予約サイトを使っている。しかしながらスフィンクス・ゲストハウスに関しては、私自身がこのホテルのオーナーと知人関係でもあるので、以前から彼を通じて直接予約を入れるようにしているのだ。 
同じギザのピラミッド・エリアにありクフ王の大ピラミッドに最も近い場所にあるメナハウス・ホテルもスフィンクス・ゲストハウスもアゴダやブッキングドットコムで掲載され始めてからは割引率がかなり大きくなってきている印象がある。そしてスフィンクス・ゲストハウス四階のピラミッドビューの客室の窓からはプライベート空間から大スフィンクスと三大ピラミッドを眺めることができるけれども、客室の窓からダイレクトに大スフィンクスと三大ピラミッドを眺められる客室は四階の四室しかないので連泊での長期滞在の場合には早めの予約でないと客室の確保が難しいようだ。それでも同じ四階には無線LANの使えるピラミッド側が全面ガラス張りのたくさんのソファやテーブルが置かれた共有スペースとしての大きな広間があって宿泊客であればいつでもこの広間で休みながら窓の外の大スフィンクスと三大ピラミッドを眺められるようになっている。そして同じ四階にあるホテル予約サイトには掲載されていない階段に近い一番奥の通路側に位置する客室は隠し部屋や隠れ家といった趣があり、ここは私にとってはインドの聖地バラナシの最も神聖な寺院とされるヴィシュワナート寺院の建つエリアに位置するヨギ・ロッジ(Yogi Lodge)の個室部屋などと同様に「やっと一人きりになれた」と思わず呟いてしまうような心底リラックスできる安息の地のような空間でもあるのだ。そしてこの隠れ家のような趣のある一番奥の通路側の客室には私自身一番長い時で二か月ほどを過ごしたことがあり、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルの取材を受けていた時期のエンジニアのビル・ブラウン氏などは半年間に渡って身を隠すようにして滞在していたことがあるそうだ。 
今回のエジプトは二〇一二年十二月以来の約三年ぶりの訪問であるけれども、以前と変わってしまっていた私にとって一番大きな出来事は、一九九三年にクフ王の大ピラミッドの入口で初めて出会って以来二十年近くに渡って親しくしていたピラミッドや大スフィンクスなどピラミッド・エリア全体の警備をしていたツーリストポリスの友人が、つい半月前に定年で仕事を終え、ギザのナズレット・ビレッジにある部屋を引き払い、彼の実家のある街に戻ってしまっていたことであった。他に同じ一九九三年にメナハウス・オベロイ・ホテルのフロントで初めて出会い、その後長い間フロント・オフィスの責任者の立場にあったメナハウス・ホテルのスタッフの知人。このホテルに泊まる際私はいつも彼を通じて予約を入れていて彼は私が画家であることや写真やビデオ撮影をしていることも知っていたのでメナ・ガーデンからの美しいパレス越しのピラミッドを眺められるガーデン・ピラミッドビューの客室が確保できる時には、いつもバルコニーからの景観が特に美しい部屋ばかりを用意してくれていたのだった。しかしながらメナハウス・オベロイ・ホテルは二〇一二年の年末でオベロイ・グループの経営から切り離されることになり、私はオベロイの撤退時期に合わせその後彼もメナハウス・ホテルの職を失っていたのではないかと心配していたのだった。そして彼の方は以前と変わりないことを今回確認することができた。 
今カイロの現地時間は午後三時前、昼過ぎには四階の広間の隅にあるキッチンでロイヤル・ミルクティーを作って飲んだ。エジプトで買うミルクの味が関係しているのか、ここでつくるミルクティーはなぜか日本で作るものよりも遥かに美味しく感じられてしまう。スフィンクス・ゲストハウスの広間には今午後の陽の光が差し込んできている。そして窓の外、大スフィンクスは逆光で今はその表情がよく見えない。

エジプト,ギザのギザの大スフィンクス 撮影2016年1月6日
エジプト,ギザのギザの大スフィンクス 撮影2016年1月6日
公開日 2016年1月8日 金曜日

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