エジプト, カイロ滞在記 - 発掘に必要なもの

2006年9月30日

今回は考古学に関連した発掘の話題について書いてみる。でも私自身は発掘に関しては完全な素人であるから、ここでは一般人の立場からの見解になる。私は今月十日から再びエジプトのカイロに滞在していて、今回で二十九回目のエジプト訪問になる。今回のエジプト訪問の最初のきっかけはギザでの発掘の準備をすすめていたアメリカ人エンジニアのビル・ブラウン氏から現在彼が発掘許可申請を行っているギザのピラミッド・エリア内での発掘調査にメンバーとして参加してほしいとの申し出があったからだった。私の仕事はおそらくスチール写真やビデオ撮影に関連した業務になると思われる。しかしながら九月十二日に予定されていた彼とのカイロでの最初のミーティングは私のほうからキャンセルしてしまったので現時点ではもう彼の発掘調査に加わる可能性もほとんど残っていないのだ。 
考古学の話に戻ると遺跡の発掘の基本は“掘る”という行為だと思う。そしてこの“掘る”ということに関してはエジプト国内では法律でエジプト人以外の人間が“掘る”という行為をできないということを最近になって知った。また発掘で雇われて“掘る”という作業を進めていたエジプト人が何かを発見しても彼らの名前が発見者として公表されることはないそうだ。雇われという立場もあるし、その場所を掘ってみると最初に決めたのは隊長であるから、何かが見つかった場合には隊長の名前でしか公表されないようになっているらしい。有名なツタンカーメン王墓の発見も、よく調べてみると現地での最初の発見は発掘の手伝いをしていたエジプト人の少年であることを最近になって知った。こういったことは自分が実際に発掘に参加するかもしれないという状況が現実味を増してきた今、とても気になりだした事項なのである。そしてもし発掘に参加できるなら自分自身の手で大きな発見をしてみたいと望むのは自然なことだと思う。 
であるから私がもしエジプトでの発掘に参加したとしても、“掘る”ことができないため、ツタンカーメン王墓の実質的な第一発見者であるエジプト人少年のような光栄を手にする可能性すらないということなのだ。
次に、“掘る”という作業を必要としないような状況での発見のケースを想定してみる。たとえば発掘作業の現場での調査や写真撮影などの最中に封印された部屋に通じる軽く押しただけでも動いてしまうような隠し扉を偶然見つけてしまったとする。その場合には実質的な意味での第一発見者としての光栄は手にすることになるが、しかしながら発見者として公表される名前はやはり発掘隊の隊長の名前ということになってしまうのであろう。 
私のような単純な人間は、それなら自分が隊長になって発掘をしてしまえばいいと考えるのだが、発掘の許可申請自体はそれほど難しくはないそうなのだが現実的には大学の博士課程で考古学かエジプト学を専攻していて、そのどちらかの博士号を取得している人物でなければ許可がおりないそうだ。であるから、ほとんどの発掘隊の隊長は考古学かエジプト学の博士号を持っているらしい。 
ビル・ブラウン氏自身がこれらどちらかの博士号を持っているという話は聞いていないので、私の憶測では彼の場合考古学かエジプト学の博士号を持っている人物を隊長にして発掘許可申請を行ったのだろうと思われる。吉村作治教授の場合にはエジプト考古庁との若い頃からの縁で、これらどちらの博士号も所持せずに発掘許可がおりているらしいがそういったケースは非常に希だという話だ。それに発掘には膨大な資金が必要なのだそうでビル・ブラウン氏も今年の春に会ったときにはギザでのこれからの発掘で三〇〇万ドルの資金集めを予定していると話していた。私自身の場合現状ではロト6の一等に当選することぐらいしかこれだけの資金を集められる可能性はない。以前早稲田大学で行われた吉村作治教授の講演を聴きに行ったことがあるが、その時彼は「発掘を始める上で最初に行ったことはラーメン屋の屋台をつくったことである。」と話されていた。そのくらい発掘にとって重要なのは資金集めということになるそうだ。ビル・ブラウン氏も最近カイロで旅行会社を始めたそうだ。彼はどう見てもそういったタイプの人間には見えないから、これもきっと発掘の資金集めの過程で起きたことなのだろうと思う。であるから発掘というのは私のようにただピラミッドの中で瞑想に耽ってばかりいても何も始まらないのである。 
それでは、いっそのことただの観光客として何かを見つけてしまったほうがいいんじゃないかと思ったりもするのだが、発掘許可をもらっていない人間が遺跡の敷地内で何か大きな発見でもしてしまうと盗掘の疑いがかけられ警察沙汰になってしまう恐れがあるという話だ。しかしながら実は私自身は今までこの方法しか考えていなかったのである。(盗掘の罪に対しての刑罰は国籍に関係なく二十五年の刑務所行きになってしまうらしい) 
この秋からはギザのピラミッド・エリアの周辺で日本の二つの大学の発掘隊による大きな発掘も始まるらしい。ひょっとしたら近い将来ギザのピラミッド・エリアで大きな発見があるのかもしれない。でもどちらにしてもギザのピラミッド・エリアでの発掘という話を聞いただけで何ともいえない高揚感を感じてしまうのは私自身だけであろうか。秘教的な見地からの情報ではエジプト、ギザのピラミッドは人類の集合意識と強く結びついていて、ここで起きる新たな発見は同時に人類の意識のシフトを意味しているとも言われているそうだ。 
今回のカイロ滞在中には偶然にもエドガー・ケイシー財団の古くからの主要メンバーの一人イレイン・ファイドさんと知り合った。彼女はエジプトで暮らし始める前にはアメリカでコンピュータ・チップのレイアウトデザインを仕事にしていたそうで、以前考古学者のマーク・レーナー博士やヒュー・リン・ケイシー氏らと共にギザの大スフィンクスでの発掘調査に関わっていたらしい。彼女は現在の考古庁長官のザヒ・ハワス博士とも以前にかなりの親交があったそうで現在でも時々彼と電話で話しているそうだ。彼女はザヒ長官の携帯電話の番号を知っていたのである。 
そこで私は彼女にこう頼んでみた。 
「私は万が一ギザのピラミッド・エリアで何かを見つけてしまった場合に備えて発掘許可申請の手続きだけでもしてみたいと考えているのです。」すると彼女はこう言い返した。 
「あなたは考古学の博士号を持っているのですか?」 
「私は画家ですからそういったものは持っていません。」 
「それなら奇跡でも起きない限りあなたに発掘の許可がおりることはないですね!」 
イレインさんとはエドガー・ケイシーのリーディングにも登場するアトランティスの末期にギザのピラミッド・エリアの地下に隠されたと言われる太古の時代の記録の収められたホール、記録の間(記録庫)についても話した。「私がアトランティスの記録の間を探し始めてから、この九月でちょうど八年目に入るのです」と語り始めると、彼女は体を大きくこちらに向けてとても興味深そうに私の話を聞き始めた。 
「八年前の一九九八年九月にエジプトを訪れた際、私はギザのメナハウス・ホテルで夜眠っている間に二人のエジプト人に導かれてまだ見たことのない大スフィンクスの地下の大きな通路を歩いているビジョンを見たのです。その後二〇〇二年春のカイロ滞在中にも睡眠中に太古の記録の間の入口と思われる扉が開くビジョンも見ました。その扉はドーム型で中心から左右に分かれるようになっていました。そしてこの扉は集合意識レベルでの人類のハートと霊的に結びつけられていて、固い物質でありながら扉自身が意識を持っているのです。そして人類のハートが十分に開いてきた時にこの扉も連動して開くようになっているのです。」 
そう言い終わると「ちょうど私達も昨日の晩記録のホールの話をしていたところだったのです、誰もがみなその入口を探しているのです」とイレインさんが答えた。

追伸 - 20061003
10月2日にギザのピラミッド・オフィスを訪れた際、チーフ・インスペクターのカマル・ワヘッド氏から直接聞いた話ではこの秋に予定されている日本人グループによる発掘はギザではなくサッカラで行われるらしい。ギザでの発掘はマーク・レーナー博士とザヒ・ハワス長官自身のグループのみでマーク・レーナー博士のグループの中には日本人スタッフも含まれているそうだが発掘現場はピラミッド・エリアの中心部からは少し離れているそうだ。現状では三大ピラミッドや大スフィンクスのエリア内での発掘許可申請はそのほとんどが却下されてしまうという話であった。

マーク・レーナー博士とケイシー財団が関わったギザの大スフィンクス発掘調査関連資料 PDF File - 1978
公開日 2006年9月30日 土曜日

画家のノート コラム・エッセイ