エジプト, カイロ滞在記 - アトランティスの記録の間

2006年3月24日

一九九二年に初めてエジプトを訪れてから今回で二十七度目になる。個人的には今回のエジプトはひとつの節目になる重要性のある訪問だと感じているので滞在期間はそれほど長くはないけれども、できればカイロ滞在中からもインターネット上で現地での滞在記を掲載していこうかとも考えている。
私は著名な考古学者の吉村作治教授のようにハワード・カーター氏のツタンカーメン王墓発掘記に感動してエジプトを目指したわけではなく、もともと考古学にはほとんど関心のない人間だった。現在でも考古学に関する知識はほとんど持っていない。しかしながらエジプト考古庁とは以前から多少の縁があるのである。私は一九九四年以降、考古庁にはある申請のために何度も足を運んでいるのだがそれは発掘の許可申請ではなくクフ王の大ピラミッド内で瞑想を行うことを目的とした申請であった。しかしながら表向きにはピラミッド内での瞑想など認められていないので、申請時にはピラミッド内での撮影許可の申請時と同様に『プライベート入場』という名目で申請することになっている。 
ピラミッド内で瞑想を行うということに関しては現エジプト考古庁長官のザヒ・ハワス氏自身もナショジオのテレビ取材に答えて、彼自身にとって唯一の安息の場は大ピラミッド内であり、大きな問題にぶつかった時には必ず大ピラミッドに来てピラミッド内で瞑想を行っているということ、そして静かに瞑想に入ることによって必ずよい解決策が見つかるのだと彼はコメントしている。ザヒ長官のこうした瞑想を通じて問題の解決策を見出そうとする姿勢は日本の有名な禅師一休のトンチ話に通じるものがあるようにも思えるのだが、私自身が一九九八年秋以降のエジプト訪問で関わっている最も主要なテーマもまたピラミッドやそのエリアでの瞑想を通じて太古の失われた文明の記録の収められた秘密の部屋の在り処を探し出すという、普通の人間が聞いたら相当馬鹿げたテーマなのである。しかしながらギザのピラミッドの地下に失われた文明の記録が隠されたという情報は、コプト伝承を通じた古いアラブの伝記やヘルメス文書、ホピの予言、また最近ではエドガー・ケイシー氏やポール・ソロモン氏、ケビン・ライアーソン氏と言ったトランス状態で行われるリーディングやチャネリングの能力を持つ人達によっても語られているのである。

『おお聖なる書よ。わが不滅の手により、朽ちない魔力でつくられた書よ……永遠に腐敗せず、時を経ても朽ちない書よ。この土地を踏む誰にも見えず、そして見つからない物となれ。天が汝にふさわしい道具を与えるまで…… 』 (ヘルメス文書より)

しかしながら私自身は発掘許可も考古学に関する知識も持っていない人間であるから、まず第一に掘るという行為ができない。そのため何かの偶然で今まで誰も気づかなかった場所に秘密の部屋に通じる入口を発見してしまうとか、または地震などのような自然の大きな力によってたまたま秘密の入口を塞いでいる石がずれてしまい、そういった場所を第一発見者として見つけてしまうといったような状況しか期待できないのである。何ら計画性のないほとんど行き当たりばったりな状況ではあるのだが、しかしながら歴史上の大きな発見の中には観光客のような普通の人間が発見してしまうといった状況もあるそうなので、私が何らかの重要性のある発見をする可能性が皆無であるというわけでもないのだ。さらに私を勇気付けてくれたのは最近になって初めて読んだツタンカーメン王墓発掘記の中で、ハワード・カーター氏自身は絵の才能が認められてエジプトでの発掘に関わり始めたという記述であった。カメラが普及していなかった時代の発掘では遺物の記録のために写生の能力を持つ人間が必要とされていたのだそうだ。またハワード・カーター氏は記録画家としてエジプトを訪れ現地で描いた作品を観光客に売って生計を立てていた時期もあったらしい。 
考古学的な発見はやはり学者肌の人間でなければ難しいのではないかと考え始めていたところで、ハワード・カーター氏がもともと絵画に精通していた芸術家肌の人物であったことを知り、画家である私にもまだ可能性はあるのかもしれないと思えてしまったのである。とはいっても私自身が何らかの考古学的な発見をするということは、やはりほとんど現実的ではないと感じ始めているのが今日この頃の状況ではある。なぜならこの私の場合にはハワード・カーター氏や吉村作治教授などとは違い基本的に遺跡に関する何らの調査や発掘を行うための権利すら持っていないからである。 
“犬も歩けば棒にあたる”調の軽い乗りで、とりあえずエジプトの地に自分の体を持っていけば後はなんとかなるだろうといった行き当たりばったりで成り行き任せの状況で今までよく何度もエジプトまでホイホイやってきたものだと、最近では自分自身の脳ミソを疑い始めている次第なのである。 
最初に書いた今回のエジプト訪問が自分にとっての大きな節目であるというのは、今回何かを見つけ出せるといった予感が自分の中にあるというのではなく、もういい加減に空想家のような捉え処のないテーマと関わるのはオサラバしたいという感情が深く込みあげてきてしまっているからである。アトランティスやレムリアといった伝説上の失われた文明の記録が収められた秘密の部屋の在り処を探し出すといったテーマと真剣に向き合っている自分は、クリスマスのプレゼントは本当にサンタクロースが持ってきてくれているのだと信じ込んでいる幼い子供と同じ状況なのではなかろうかと痛切に感じ始めてしまっている今日この頃なのである。

インタビューに答えるザヒ・ハワス博士 ギザの大スフィンクスにて 撮影2006年4月3日
インタビューに答えるザヒ・ハワス博士 ギザの大スフィンクスにて 撮影2006年4月3日
公開日 2006年3月24日 金曜日

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