エジプト、カイロ滞在記 最終章、ギザのメナハウス・ホテル316号室

2021年3月16日

ちょうど一年前の今日は、エジプト、ギザのピラミッド・エリアに滞在していた。去年の今頃はコロナ禍が始まったばかりで、世間はパニックに近い空気だった。二〇二〇年の三月初旬はエジプトのクルーズ船に乗ったツアー客のコロナ感染のニュースが大きく取り上げられていた時期で、そんな中エジプトに向かうことは正気ではないという雰囲気もあったし、私自身もエジプト行は完全に無理だと感じ諦めていた。その私がなぜエジプトを訪れることになったのかというと、最初のきっかけは『コロナ禍の影響で旅客機の乗客がたった一人きりであった』という国際ニュースを聞いたことだった。もし私自身も似たような状況でエジプトに飛ぶことができれば、コロナ感染のリスクも回避できるのではと感じてしまったのだ。その上私自身は、もし今回エジプトを訪れるにしてもギザのピラミッド・エリアでの人との接触がない遺跡の撮影がメインで、クルーズ船のツアーに参加する予定もなく、他人との接触が避けられない団体の観光ツアーでエジプトへ向かうわけでもなかった。そしてエジプトはそれ以前から幾度となく訪れていて、人との接触を極力避けるための現地の状況もそれなりに把握できていた。
それでまず、航空券の空席状況を確認することにした。エジプト以外の他国に発着することになる乗り継ぎ便を使うことはコロナ感染のリスクが大きくなるだろうと考え、乗り継ぎのない便でカイロまで移動できるようにとエジプト航空の東京オフィスに二〇二〇年三月中旬以降のダイレクト便の空席状況を確認した。すると大手団体ツアーのキャンセルが相次ぎ、座席がガラガラであることを知らされ、また急な空港閉鎖などあれば航空会社の手配で帰国便を差し替え、日本に戻れることも確認できた。日本国内での外出自粛要請も三月半ばで解除されるタイミングでもあった上に、もしこの時期を逃したらこの先いつ再びエジプトを訪れることができるのかもわからないような情勢だったので、結局この時期のエジプト行を決断することになった。私自身の以前のいくつかのエジプト滞在を旅行記としてまとめるために少なくとも後一回は実際にエジプトを訪れ、現地情報の確認や遺跡やホテルなどどうしても撮影しておきたかったカットもいくつか残っていたのだ。
予約を入れた二日後の二〇二〇年三月十五日成田発のカイロへのダイレクト便は確保できたが、三月下旬の帰国便は欠航で乗り継ぎ便しか飛んでおらず、三月二十一日現地発のダイレクト便を確保して出発することになった。
そして結果から先に書いてしまうと、自身の予想通りカイロまでの飛行機内はガラガラで、これほどガラガラの便は生まれて初めての経験だった。三百数十人乗りの機体にこの日の乗客は僅か十四人だったそうで、私は最初四〇人(フォーティ)なのかと思い、搭乗員に聞き返すと十四人(フォーティーン)だと苦笑いと共に言い返されてしまったのだった。チェックインの際にも「一応座席は確保しておきますが、どこでも好きな席に座ってください」と言われ、「換気の良さそうなエリアの席をお願いします」と私は答えた。 ..................................
しかしながら、自身の思惑通りにことがすすんでくれたのはここまでであって、十五日夜の便で成田を発ち、現地カイロに到着した三月十六日のその日に、エジプト政府がその三日後からの空港閉鎖を突然発表することになってしまったのだった。ということで帰国便は、エジプト航空の手配で二十一日から二日早い、十九日カイロ発の帰国便に変更されることになったのだが、個人旅行でほとんど情報の入ってこない私自身がエジプト政府の空港閉鎖の発表を知ったのは翌十七日のことだった。急な空港閉鎖などあれば航空会社の手配で帰国便を差し替え、日本に戻れることは確認してはいたが、それは東京オフィスのスタッフに聞いた話に過ぎず、購入した航空券は帰国便の変更可能なオープンチケットでなかったため、日本に戻れなくなったらどうしようとかなりのパニック状態だった。若い頃なら、日本へ帰れなくなったのなら天の導きでこのままエジプトで暮らせばよいといった成り行き任せてきなことも考えられたが、昨今の私自身の身辺の状況はそのような自由の身とはほど遠い状況なのだ。
そしてこちらも結果から先に書いてしまうと、カイロに到着した十六日にはすでにエジプト航空から帰国便差し替え通知メールが届いていたので、帰国が早まり現地での滞在期間が三泊四日ほどの短い旅になっただけで別にパニック状態に陥る必要もなかったのだ。しかしながら私がそのメールを確認したのは日本帰国後のことであって、現地ではカイロ市内のエジプト航空オフィスに何度電話してもつながらず、あげくには直接カイロ国際空港のカウンターを訪れ、帰国便の差し替え手続きをしにいってしまったのだった。
自身の三十五回目のエジプト旅行で泊まった宿はギザのピラミッド・エリアにあり、クフ王の大ピラミッドの目の前に建つマリオット・メナハウス・ホテルになった。他に海外からのツーリストの出入りがほとんどない個人の宿に泊まるという選択肢もあったが、この時期メナハウスではホテル入口のゲートで体温チェックが行われており、それを通過できないとホテル内に入れないようになっていた。またホテル内のレストランも隣のテーブルまでかなりの距離があり、ホテル全体のすべての施設がゆったりとした広い空間であったため、結局このホテルに滞在することになった。二〇一九年頃までにはエジプトを訪れる観光客が再び増えてきていて、人気の高いこのホテルに予約を入れることはかなり難しくなっていたようだが、コロナ禍の影響で予約なしで泊まれただけでなくバルコニーから大ピラミッドが見えるピラミッド・ビューの客室を確保することもできてしまった。しかしながらホテルのメインロビーが入っているパレス部分が大きな改装工事に入っていて近づくことができず、このパレス内の撮影も今回の私の旅の大きな目的のひとつであったためとても残念だったが、三一六の客室番号のリクエストはそのまま通ってしまい、私が初めてエジプトを訪れた一九九二年に泊まったガーデン、ピラミッド・ビューの三一六号室に三連泊することができた。当時のメナハウス・ホテルはインドのオベロイグループが運営していたので、名称もメナハウス・オベロイでその後、二〇一二年末でオベロイが離れてからは、一九七〇年代にオベロイが入ってくる前の創業当時と同様シンプルにメナハウス・ホテルと呼ばれていた時期もあり、私自身はこの名称が一番気に入っている。そして数年前からマリオット・メナハウスに名称変更され現在に至っている。二〇二〇年三月のエジプト旅行は、その数か月前のインド旅に続き、私としては(これが最後のエジプト訪問になるかもしれない)といった覚悟もしていたので、この旅の間は心の中で『エジプト最終章』という言葉が幾度となく思い浮かんできてしまっていた。そして去年三月にエジプトを訪れていた時期には、たんに自分が初めてのエジプト旅行で泊まったことのある三一六号室という拘りでしか考えていなかったが、エジプトに到着しチェックインした日付が三月十六日であったことを思い出し、三一六という数字が泊まった客室番号と同じであったことを今になって気づき、不思議な偶然であったかのようにも感じている。この時期のエジプト滞在中は、行きのエジプト航空の機内で聞き、気に入ってしまったヒシャム・アッバースの曲ばかり聞いていた。

エジプト、ギザのマリオット・メナハウス ガーデン316号室からの眺望 撮影2020.3.18
エジプト、ギザのマリオット・メナハウス ガーデン316号室からの眺望 撮影2020.3.18
公開日 2021年3月16日 火曜日

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