旧作 鉛筆画、インド、カジュラホ アディナータ寺院の彫像より

2024年12月18日

 世界遺産に登録された古い寺院群があるインド、カジュラホの地を初めて訪れたのは一九九〇年春のことで、当時はまだ大学の美術学部に在籍中だった。その時期撮影したカジュラホの彫像写真は、五年後の一九九四年に東京、銀座での個展に出品するため鉛筆画として四点描かれた。そのうち三点は現地のどの寺院のどの辺りで撮影されたのかをきちんと記憶に残した状態で描くことができたが、残りの一枚だけは記憶がはっきりとせずどの寺院で撮影されたものなのかも不明になってしまっていた。
 また、この一枚は個展の開催間際に少ない時間で間に合わせに近い形で描き上げた作品だったので、一般の方が見てもまだ仕上がっていないとは思えない程度の出来栄えだったが、私自身の目からは描画終了にはほど遠いという印象が強かった。そんなこともあり、通常なら鉛筆や木炭などで描いた作品は完成後にフィキサチーフと呼ばれる描画を定着保護するための定着材をスプレーすることになるが、定着液を噴霧した後は透明な樹脂の被膜に覆われた状態になり修正が難しくなるため、この鉛筆画にはフィキサチーフをかけていなかった。
 しかしながら、絵画作品を生じさせるための条件としてはたとえ撮影場所の記憶がはっきりしていない写真を元に描いていても、作品として成立する時点でそれはたんなるモチーフの転写物ではなく『紙などの支持体と、顔料などの描画材料との組み合わせで生じるそれ自身で独立し、自立した造形物』が生み出されることになる。それ故に撮影時の記憶の有無や、さらには描画に使う写真が自分で撮影したものであるかといったことでさえ大した重要事項ではないと言うこともできる。それでも、絵画作品は生きた人間の意識を通じて生み出されるものなので、実際に現地を訪れたときの光景や情感などがきちんと記憶に残っている写真を元に描かれる作品と、そうでない作品に何らかの違いが生じるのも自然なことだろうとは思う。
 私自身は画家である前に瞑想者であるという自覚が強く、またインドと言えば瞑想という言葉が出てくるほどで、インド旅行の目的は南インドのアルナーチャラや北インドのベナレスのようなヴォルテックスやエネルギースポットとも呼べるような特別に大地の気が満ちた聖地を訪れ、現地で瞑想のときを過ごすということを意味していた。そんなこともあり、一般には観光地として知られ、私自身もそのようにしか理解できずにいたカジュラホの地を再び訪れてみようという関心も、年々失われていったのだった。
 ところが去年の春過ぎに、コロナ関連の制限なく自由に海外に出かけることができるようになったことがきっかけで、海外旅行への関心が再び高まることになり、前回二〇一九年にインドを訪れた際に取得してあった五年間有効のインドビザも再有効になっていた。また去年二〇二三年の後半から今年前半にかけては、私の五十歳代最後の時期ということもあって、長い間自宅で描きかけのまま放置されていた絵画作品のいくつかを六十歳になる前にきちんと描き終えておきたいと思うようにもなり、未完のままになっていたカジュラホの彫像を描いた鉛筆画の加筆も再開することになった。
 その際、ずっと以前に訪れたことのあるカジュラホの地を懐かしく思いながら描いていたことが何らかのきっかけになったのか、それから間もなくして実際にインドを訪れることになり、カジュラホの地は一九九五年以来二十八年ぶりに再び訪れることができた。また記憶がはっきりとしていなかった鉛筆画の撮影場所だったジャイナ教寺院群の中にあるアディナータ寺院の私がモチーフにした彫像が置かれたその同じ場所を再訪することもできた。
 帰国後には気分が乗った状態でこの鉛筆画のさらなる加筆修正がすすめられることになり、その後描き始めた一九九四年からちょうど三十年が過ぎた今年二〇二四年春先にようやく描画を完了することができたのだ。

鉛筆画、インド、カジュラホ アディナータ寺院の彫像より
鉛筆画 インド、カジュラホ アディナータ寺院の彫像より(ケント紙 27 x 38 cm)【拡大図リンク】
公開日 2024年12月18日 水曜日