回想録, 天才ディレクター 伊藤輝夫さんのこと

2005年8月1日

このコーナーは真面目な絵画論シリーズにしようと思っていたのだが、今回は話題が逸れ個人的な回想録にしてみた。ここでは以前に交流のあったタレントで演出家のテリー伊藤さんとの思い出話の断片を綴ってみる。テリー伊藤、本名伊藤輝夫さんに初めて会ったのは私がまだ大学一年生だった一九八七年のこと。当時の日本はバブル経済の絶頂期でその頃彼はテレビバラエティ業界で天才ディレクターとして知られ飛ぶ鳥を落とすような勢いで活躍していたそうだ(八峯テレビの名カメラマン元木宏談)。私は伊藤輝夫さんと知り合った翌年の大学二年生の時には東京藝大百周年記念関連のテレビ番組に現役の学生として出演したことがあったのだが、そのとき取材にきていたディレクターさんも伊藤輝夫の名前はよく耳にしていたようで、その彼に私が「伊藤輝夫さんとはちょくちょく会ってますよ」と話しただけで「それじゃあ、あなたにはちゃんとギャラを払っとかないとね」と言って、予期せずに出演料をもらってしまったこともある。といってもその当時の伊藤輝夫さんのネームバリューはテレビ業界内だけの話であって一般人で彼の名前を知っている人はほとんどいなかったと思う。またその頃はまだテリーという愛称もなく、本名だけで知られていたのだ。
私がその当時の伊藤輝夫さんから学んだことは多い、といっても反面教師として学んだこともあるが。そういえば反面教師という言葉に関してひとつ思い出がある。ずっと以前、私のお気に入りであった知人女性から「ほまれさんは私にとっての反面教師なの」と言われ、反面教師という言葉が“見習うべきでない悪いお手本”といった意味の言葉であることを知らなかった私は、たんに教師という言葉に喜んでしまい「それほどでもないけどね」と得意げに答えてしまったことがある。 
伊藤輝夫さんとは当時彼が勤めていた番組制作会社のIVSテレビ制作を通じてタレントショップの壁画制作の仕事を依頼されたのがきっかけで知り合った。その番組制作会社のオフィスで伊藤さんに初めて会ったときに彼が私に発した言葉は次のようなものだ。
テリー:「おまえ今女いないだろ!」
出会ったばかりの頃はよく伊藤輝夫さんに連れられてテレビ番組のスタジオや屋外の撮影現場へ遊びに行っていた。当時はタレントさんの顔面ペインティングを依頼されたり、また伊藤さん自身から直々に頼まれ、彼がディレクターをしていたバラエティ番組に私自身が出演したこともある。
その後親しくなって鎌倉の彼の別荘に遊びに行く時の車の中での会話。横浜新道が渋滞で混んでいるとき、伊藤さんは車内に取れ付けられた携帯テレビの電源をつけて気まぐれにチャンネルを回してある番組で止まった、それからちょっとして「この番組つまんねえな」と呟いてテレビを消してしまった。 その直後、「オレとおまえの違いはここにあるんだよな」と彼が言った。そして彼は次のように続けた。「お前がやってる芸術っていうのは、基本的に客がわざわざギャラリーまできてくれて作品もきちんと観た上で内容が評価されるものだろ。でもオレのやってるテレビのバラエティは、気まぐれにチャンネル回してその後ちょこっと見てつまんなかったらそれでオシマイなんだよ。オレたちの世界って、どの瞬間からチャンネルつけても客を引きつけられるようなものをつくんなきゃいけないんだよなあ。」これは高視聴率番組も連発していた天才ディレクターらしい発言だと感じた。
恵比寿ガーデンプレイスの近所にあるロコモーション(IVSテレビ制作からの独立後に伊藤さん自身で経営している番組制作会社)へ遊びに行くと、伊藤輝夫さんの車でどこかの料理屋さんに連れて行ってもらうことがあった。彼の掛け声はだいたいこんな感じ。
テリー:「ほまれ~、腹減ってるだろ。メシ食いにいくぞう~」
そんな感じで、築地の料理屋でエビフライ定食を御馳走してもらっている時のこと、この頃の伊藤輝夫さんはもう時々テレビや雑誌に登場していて、まあまあの有名人になっていた。
フライを揚げていた店の料理人さん、有名人テリー伊藤の出現にドキドキした表情で「いつもテレビ見させてもらっています、どうぞよろしく」って。それに対して、伊藤さん緊張した相手をフォローするどころか知らん振りして何も答えなかった。相手がいかにもゴマスリ風の態度だったら無視しても構わないだろうけど、善良な一般庶民に向かってのこのときの伊藤さんの態度にはかなりの違和感。伊藤さんって他人の気持ちが理解できない人なのかなあ?って。でもそれからしばらく日が経ってから、その料理人さんと彼のお店が伊藤さんが司会をしていたテレビ番組に映っていた。今の世の中普通にテレビに出るだけなら勲章でももらったみたいに感じる人のほうが多いだろうから、話し掛けて無視された有名人に、その後テレビにまで出させてもらったと感じてしまったであろうあの料理人さんは、きっとテリー伊藤の信奉者になってしまったにちがいない。伊藤さん、きっといつも同じ手口(まず相手に悪い印象を与えておいて、後から喜ぶことをする)で女を落としているにちがいないと痛感させられた出来事だった。
同じ日、築地で御ちそうしてもらった後、伊藤輝夫さんの車で晴海通の銀座四丁目辺りを走っているときの会話。
ほまれ:「伊藤さん、いつも御馳走してもらってばかりで“食い逃げみたい”で申し訳ないですねえ。」
テリー:「いやあ全然気にしなくていいよ、オレが食えなくなった時にはおまえに食わしてもらうんだからよう!」って微妙に“圧力”のかかった口調で、でも幸いなのか不幸なのか今日まで伊藤さんを食わせるような状況は訪れていない。
あちこちのテレビ番組や雑誌に頻繁に伊藤さんが出るようになった頃の会話。
ほまれ:「伊藤さん最近お金儲かってるでしょう?」
テリー:「まあな、でもこの業界って“浮き沈みが激しい”からよう。顔が売れてるうちに“まとめて”儲けとかねえとなあ」って、ちょっとうつむき加減の哀愁のまじった表情で。基本的に伊藤さんのカリスマ性というのはこの(どうせオレなんか)といった言葉を想起させるような哀愁の漂った悲しげな表情にある。でももう、あの会話からはすでに十年近く経っているけど、今でも伊藤さん頻繁にテレビで見かけている。先のことはわからないけど、とりあえず二〇〇五年八月の今日現在まではずううう~~~っと儲けっぱなしってことになってしまっているのかも。
伊藤輝夫さんの車で六本木の青山ブックセンターに立ち寄ったときの会話。
いっしょに立ち読みしたあと、伊藤さんは数十冊の本をまとめ買いして愛車の白のベンツに乗り込んだ。 
ほまれ:「伊藤さんはたくさん本を読むんだね」
テリー:「まあな、オレの場合ネタが切れたらオシマイだからよう!」

ハワイ, ワイキキのタレントショップ天井壁画より(高さ約2メートル,アクリル画)1989年当時
公開日 2005年8月1日 月曜日

画家のノート コラム・エッセイ