セザンヌ論

2006年3月22日

西洋美術の流れの中でセザンヌの占める位置はとても大きいと思う、彼は絵画の世界がキャンバスから飛び出し現在のように何でもありの世界になる大きなきっかけになった人だと思う。日常の既製品まで作品にしてしまった現代アートの祖とも言われるマルセル・デュシャンの作品もセザンヌ抜きには生まれなかっただろう。デュシャンの若い時期の絵画作品は強烈にセザンヌの影響を受けている。彼の『階段を下りる裸体』や、またピカソやブラックのキュービズムの絵画作品は晩年のセザンヌの延長線上にあると言っても過言ではないと思う。そういった意味では現代アートはセザンヌから始まったとも言えるのかもしれない。 
しかしながらどこかの現代アート関連本には現代アートはモネから始まったというようなコメントが述べられていた。モネは西洋絵画の歴史の中で、絵の具によって描き出されるイリュージョンの世界ではなく、物質としての絵の具そのものを自覚し始めた最初のアーティストであるといったコメントだった。そう言われてモネの作品を見直してみると、彼の晩年の睡蓮の作品にはそういった意識が感じ取れなくもない。しかしながら私自身の個人的な印象では物質としての絵の具を明確に自覚し始めたのは晩年のセザンヌ以降ではないかと思う。 晩年のセザンヌの作品は絵画でありながら“描く”というよりも“構築する”とか“組み立てる”といった意識で制作されている。セザンヌの意識はキャンバスに線を描くときもその線は何らかの表象物、モチーフを描くために使われながらも、同時に三次元の現実の中での物質としての線としての自立性を保っているし、またキャンバスに描かれる筆のタッチは描かれるというのではなく、物質としての絵の具をキャンバスに“置く”という意識で制作されている。そしてこの“構築する”とか“置く”といった意識が、二次元のイリュージョンの絵画の世界から飛び出して現代アートが三次元空間を扱うインスタレーションやオブジェなどの作品を生み出していった大きなきっかけになったことは間違いないと思う。 
しかしながらそれ以上に重要な点は、それがここ数百年間の最近の西洋絵画の歴史の流れの中での出来事に過ぎないということだ。セザンヌは西洋の画家達がイリュージョンの写実絵画を描き始めた頃から見失ってしまっていた造形における基盤とも言えるような重要事項を再認識し始めたのであって新たに発見したわけではない。古代エジプト人の描いた壁画には晩年のセザンヌの到達した意識がごく当たり前のこととして成り立ってしまっているし、また東洋のほとんどすべての絵画作品も同様の意識で制作されている。日本の美術の歴史では西洋の写実絵画が入ってくる以前の伝統的な日本画の世界では見る位置によって諧調が反転してしまう金箔のような素材がよく使われていたりもするけれども、それは単なる飾りとしてだけではなく当時の画家たちが物質としての平面上における絵画というものを強く自覚していたからなのだと思う。

公開日 2006年3月22日 水曜日

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